山﨑春之 略歴
Biography of 2nd President
山﨑春之 略歴
第2代理事長・学園長
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略歴Biography
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1926東京府(現渋谷区代々木)に生まれる
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1944明治大学商学部 入学
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1945終戦、明治大学に復学
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1948明治大学卒業後、繊維貿易公団に就職
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1950公団民営化を機に繊維会社に転職
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1952学校法人駿河台学園 理事に就任
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1954四谷校開校
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1963中山学生寮を設置
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1964学校法人駿河台学園 理事長 兼 駿台高等予備校 校長に就任
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1966予備校としては初めて、偏差値を採用した進学資料を作成新東校舎を完成させる
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1970駿台電子計算機専門学校(現駿台電子情報&ビジネス専門学校)開校
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1972日本武道館にて入学オリエンテーションを挙行
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1974本部校舎(現3号館)を完成
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1976全国予備学校協議会 発足(初代会長)/全国専修学校各種学校総連合会・常任理事に就任
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1977駿河台学園第一幼稚園を開園
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1978学校法人駿河台アカデミー学園(現駿河台南学園) 理事長就任
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1979学校法人駿台甲府学園理事長に就任 駿台甲府高校を開校
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1980駿台予備学校に校名変更/駿台予備学校校長 駿台予備学校京都校校長 駿台予備学校四谷校校長
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1981駿台予備学校大阪校校長
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1982全国専修学校各種学校総連合会副会長
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1984駿河台大学設立準備室を開設/駿台予備学校大宮校校長
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1985臨教審第四部会にて講演/藍綬褒章 受章
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1987駿河台大学開学/大学第一回入学式/全国予備学校協議会名誉会長に就任
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1990学校法人駿河台大学初代理事長・総長に就任
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1993駿台甲府中学校を開校
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1994社団法人全国日本学士会アカデミア教育大賞を受賞
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2007駿河台大学名誉総長
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2010
道は見つかりましたか
春になりましたね。厳しい冬を越えた受験生のみなさん、お疲れ様でした。
ここで少しだけ、お知らせをさせて下さい。
2010年1月、当校の前理事長、山﨑春之がその生涯を閉じ旅立ちました。
彼が駿台予備学校の理事長になったのは、昭和39年、
東京オリンピックに日本中が沸き立ち、成長の槌音が鳴り響く時代でした。
教育熱も高まり、大学を目指す受験競争は激化する一方。
なんとか希望する大学に入りたいと、何度も受験を繰り返し疲れ果てた若者を見て
彼は心を痛めます。
「若者の時間を無駄にさせてはいけない。」
受験は通過点に過ぎない。そのために貴重な青春の時間を無駄にすることはない。
どうしたら良いか、考えた末に彼は
勉強の方向を分かりやすくする目安として、「偏差値」を導入しました。
また、くるくると変わる入試システムに翻弄されないよう、
変化に合わせて新しいカリキュラムを作り続けました。
「青本」と呼ばれる駿台の出版事業も、同じ思いから始まっています。
限られた時間を無駄にせず、効率よく勉強ができるようにするため。
すべては受験生、若者への愛情から。
受験も、受験勉強も、そして予備校も。
すべては、みなさんが自分の道を見つける、そのための手段です。
山﨑春之の生涯は、若者のために捧げられました。
その取り組みが、この春新しい道に進む皆さんを
少しでもお手伝いできていたなら、きっと彼も喜ぶでしょう。
いままでも、これからも「愛情教育」。駿台は志を受け継いでいきます。
第一志望は、ゆずれない。
駿台予備学校
2010年3月24日(水)
日本経済新聞朝刊に掲載された広告より