2.総合大学へ向けて
経済学部
 駿河台大学は飯能市・埼玉県の誘致で創立され2学部以上の大学をつくるという約束であった。文科系の総合大学をつくる、これが創設者・山崎春之の当初からの構想だった。創設当時すでに「最終的には3学部くらいの規模にするつもりです。つぎは経済学部になるでしょうか。これも他大学のようなものでなく、どこまでも実学志向の学部にするつもりです」と語っていた。
 開学翌年の昭和63年7月、文部大臣に経済学部設置認可申請書を提出、あわせて第2講義棟建設などの第2期工事にかかった。
 平成元年12月22日、設置認可、翌年4月から第2の学部として経済学部がスタートした。
 駿台の大学経営にかける熱意を文部省や大学設置・学校法人審議会が高く評価していたことを示すものといえよう。
 経済学部は経済学科と経営情報学科の2学科で構成。各学科の定員はそれぞれ120人。

 経済学科では「国際化時代への対応」を目標にし、伝統的な経済理論の修得にとどまらず、諸外国の経済事情や外国経済と日本経済の関係に焦点をあてた授業科目の設置に配慮がなされた。経営情報学科では「情報化時代への対応」を意図し、企業経営の理論を理解した上で、情報技術を駆使して情報を分析し、的確な判断を下せる、現実の経営の場で必要とされる人材の育成を目指す。このためアメリカのビジネス・スクール型のケース研究を授業に導入、生きた経済のデータを使って、学生が自らの力で現実の経営問題を討論し、その中で現実場面で非常に重要な論理的思考力・分析能力・判断力を養う。また、情報処理教育では、プログラミング技術の習得だけでなく、ビジネスソフトなどを使って実践的な授業を並行して行い、プログラミング技術と、ビジネスの現場で日々生じるデータをコンピュータを駆使してグラフや統計資料にまとめてゆく技術を習得する。

 このほか、法学部と同様、小人数教育、ゼミナールの重視、ネイティブ・スピーカーによる語学教育の徹底など、“駿大方式”が貫かれている。

 4月7日に入学した経済学部1期生は325人。初代学部長に就任した元一橋大学経済学部長の荒憲治郎はガイダンスで、「学問の楽しさと厳しさの両方を理解して欲しい。すばらしい環境に恵まれたキャンパスには、教育において情熱をもち、研究において一流と目される数多くのスタッフが待機している。もし学生諸君が積極的に勉学を志すのであれば、必ずや期待どおりのものが獲得できる」と新入生を励ました。

 なお、経済学部の設置に伴って、法学部ではそれまで学長が兼任していた法学部長職に新たに教授・和田英夫が就任。また、学長を補佐する副学長として経済学部教授・飯野利夫が就任した。さらに事務部門においても、経済学部申請事務室がそのまま経済学部教務課となって、法学部教務課との2教務課体制となったほか、情報科学センター事務室、視聴覚センター事務室、企画課などが発足し、大幅にスタッフの充実が図られた。
インテリジェント・キャンパス
 経済学部の発足に先立って、第2期工事がすべて完了した。
 新しく誕生した第2講義棟(経済学部棟)は地上15階、地下1階建て。飯能の高台にそびえるその威容は「我らの理想と学問の城」(校歌の1節)と呼ぶのにふさわしい。しかもその内部には「情報科学センター」と「視聴覚センター」が開設され、それぞれ最先端の施設を完備、こうして情報化時代を先取りするインテリジェント・キャンパスが完成した。
山崎春之 総長に就任
 大学の設置母体である「学校法人駿河台学園」は「駿台予備学校」をはじめとして、全国に多数の学校を設置しているが、その所轄官庁も文部省のほか、各都道府県庁も混在しているため、法人の運営は非常に複雑なものとなっていた。そこで運営形態の明確化を図るべく、学園設置校のうち、大学と第一幼稚園を学校法人駿河台学園から分離・独立させ、新学校法人を設立する準備が進められていたが、平成2年9月1日をもって、「学校法人駿河台大学」としての設立が認可された。

 新法人では、“設置する学校の教育を統括する”職として総長を置くことになり、学園長の山崎春之が総長に就任した。