駿台創立100周年
表彰者(功労者)からのメッセージ

Message from Teachers

駿台創立100周年功労者表彰式が2018年2月16日にパレスホテル東京で開催され、長年に渡り、駿台の発展にご尽力いただいた4名の講師が表彰されました。

本ページでは、表彰者からのメッセージを掲載しています。

藤田 修一 先生

駿台予備学校 元現代文科

藤田 修一先生

都立高校に勤めていた私にとって駿台のすべてが新鮮でした。学校全体が志望大学をめざしてバク進する姿は壮観そのものでした。

現代文読解の要諦を見出して、読解の方法論を授業出来るようになった頃は、スンダイ全体が輝いて見えていたものです。

教師と各部局との風通しのよさ、学園長の教師への接待など、目をみはるものがありました。相撲見物、歌舞伎見物などもその一例です。

ある日ある部長に「新聞広告はいつも『駿台予備学校』を使いたがるね、今や駿台予備学校は受験界で知らない人はいないんだからもっとパンチを利かせられないかな」という話をもちかけたら、間もなく「駿台SUNDAI」で広告されるようになり、ひそかに微笑んだものです。

身体に故障が起きて病院に行けば、「やあ先生その節は~」と声をかけられ優遇されたりしました。

「時間よ止まれ」は、有史以来の人間の悲願でした。私がこの慣用句を意識しはじめたのは、教壇に立つようになって三年を過ぎた頃からでした。

「止まる」はずのない時間は夢の間に過ぎて行って、75才の時スンダイに別れをつげました。

私の人生をふり返って、色々あったけれど「時間よ止まれ」という人間の悲願を一番強く意識したのはスンダイの教壇に立っていた幸せな「時間」だったなあとつくづく思っております。そして今年百年を迎えたスンダイの前途は勿論昔と同じく輝きつづけるに違いないと私は信じております。

最首 悟 先生

駿台予備学校 論文科

最首 悟先生

つぎつぎとなりゆくいきおい

浪人は武士であって武士ではありません。仕える主家がなく、さりとて市井の人たちからは仲間扱いされず、手に職がないので、日々の暮らしもままなりません。それでも刀を手放さず、いつか仕官する目的をもっています。そしてどうして目的を捨てられないのか、目的とはなんだと問いが付きまといます。

葉室麟の小説『いのちなりけり』に、武士はとどのつまり何に仕えるのだろうという問いに、天地、天地の間に満ちているもの、それは命、「されば命に仕えればようござる」という問答が出てきます。いまは浪人とは言わず、多浪は死語に近いのですが、でも「第一志望はゆずれない」と決めた予備校生諸君には、浪人の心持ちは抑えようとしても浮上してくることに変わりないと思います。

わたしは遥か前の駿台生でした。いまでも気持ちの引き締まった一年を思い出します。その一年はそれからの人生の出発であり、礎(いしずえ)になったと思っています。他のことは何も考えず、ひたすら勉強しようと、そしてそのような日々だったのですが、やはり不安が襲ってきます。そして、それに伴って、何のためにこんなに頑張るのか、という問いがやってきます。その問いを追い払うことはできず、漠然と、答えを得るためにこそいま頑張っているのではないかと―循環です。でもそういう気持で、そうそうたる先生方の授業を聴いていると、先生方の言葉の端々から、わからなさがホロホロとこぼれてくるような感じがするようになりました。

生物学からいのち論をやるようになって、エッシャーの「描く手」(1948)に出会いました。右手が左手を描こうとし、左手が右手を描こうとしています。いのちの生成の秘密です。わからなさがホロホロとこぼれます。鶏が先か卵が先か、循環していてどっちも正しいのです。いのちはわからない、そして生きるとは「つぎつぎになりゆくいきおい」(丸山真男)です。そこに希望が宿るのです。

山本 義隆 先生

駿台予備学校 物理科

山本 義隆先生

駿台創立百年に思う

駿台の創立は1918年ですが、その年はある意味で記念すべき年でした。ウィルソン米大統領が一四カ条の平和構想を表明し、民族自決を呼びかけ、こうして第一次世界大戦が終り、新しい世界が来るとの予感を与えた年だったのです。前年にロシア革命、翌年には、韓国で三・一独立運動が起りました。

その時代に英語教育を中心とする駿台が生まれたのですが、それにしても近代日本の若者にとって、今も昔も英語の習得が重要課題だったのですね。

私が大学を受験した1960年には、1次試験は英数国の三科目、2次が五教科七科目、理科の受験生にも社会科二科目が課せられていました。私は世界史と地理を選択したのですが、その頃から世界史に興味を持つようになりました。受験勉強とはいえ、受験を越えて残るものがあるのです。

高校の世界史の授業は、今も昔も、古代文明やインドの古代王朝に始まり、現代史になると時間が足らず駆け足で済ましています。そして現在では、社会科がセンター試験だけの理科の学生には、歴史の知識がかなり貧弱なようです。率直に言って、古代インド王朝の名前など知らなくても構いません。そんなものインド人も知らないのですから。しかし現代史については、理科の学生でもそれなりの正確な知識を持ってほしいと思います。百年前に語られた植民地解放が実現したのは、いま一度の世界大戦を経て後であったわけですが、かつて植民地支配されていた諸国は、アフリカの現状を見てもわかるように、その後遺症に今なお苦しんでいます。日韓・日朝の間に現在横たわる諸問題も、その多くは日本の植民地支配の負の遺産なわけです。最低限、その程度の事実は知っていて貰いたいと思います。

その意味では、理科の受験生にも社会科二科目を課した以前のシステムは、理科の学生にも歴史への関心を齎したことで優れていたと言えます。

ともあれ駿台の物理の授業では、私は受験の範囲に留まりながら、なおかつ受験を越えて、物理そのものに興味を持たせるように努力してきました。

この点は歴史等でも同様でしょう。もちろん英語でもそうです。大学の教養課程で学ぶのは第二外国語の独語や仏語なわけですが、理科の学生にとって本当に必要になるのは英語です。英語の論文を読み、英語で論文を書かなければなりません。そのときに物を言うのは、間違いなく受験時代に培った英語力です。その意味では、英語教育に始まった駿台百年の歴史は、日本の科学研究の底辺を支えてきたと言えるでしょう。

これまでの駿台の各科で営まれてきた、受験を越えた受験教育の伝統は、これからも残してもらいたいと思います。

関谷 浩 先生

駿台予備学校 古文科

関谷 浩先生

駿台の教壇に立って、四十余年になりました。その間、世の中の様子や物の考え方は大きく変化をしていますが、駿台において、次の二点は変わることなく、むしろ確固たるものに強まっている感じがします。それは、

① 人のつながりを大切にする教育の実践
② 学問としての教科の論理的修得

です。さらに、それらの存続に対する講師・職員の熱意や努力が駿台の創立100年を可能にしたと思います。

本来の目的である受験を見据えた授業は言うまでもありませんが、駿台は単なる学習塾ではなく、一人ひとりの尊厳を大切にする学校を目指していると思われます。だからこそ、「予備学校」という名を誇り高く名のり続けているのでしょう。嘗て、或る大手新聞社が東大生に対して「尊敬する人は」という問いかけに対して、我々の先達でいらっしゃる桑原岩雄師の名が上位に位置したことがありました。それは教室内における深い感情の交流の結果でもあったのでしょう。

また、それぞれがユニークなパーソナリテイーを持つ講師の多くは誰も、学問の本質を踏まえて論理的に追究する姿勢こそが大事だと考え、さらに不明点や、その対処法を考えさせるという極めて当たり前のところから教え始めます。結果や正解への方法だけを無闇に教え込み、それを強要するのではなく、重要だと考えられる急所を押さえて、自らを納得させ、自分の力だけで理解できるようになることを「実力がついた」と言いますが、生徒に本物の実力をつけることが私どもの使命と考えています。その際、論理的思考上、指導要領の範囲を超える説明も必要になることがあります。躊躇なくその必然性と具体的な方法を説明をしながら、その内容を盛り込むようにしています。そうしたことが後の研究生活に結びつくこともあるようです。

駿台が、いつまでも学校としての矜持を大切にし、学問の場として大切に思う人々の集まりとなり、長く続いてゆくことを切に願っています。